私も昔、小学六年の女の子だった

(せっかく、昨日の夜に書いたにもかかわらず、ブログの調子が悪くてアップできなかった分です)

トップニュースは、今日もこの事件。
無責任な報道を、聞けば聞くほど、やりきれないような気分になる。

私も、昔、小学六年の女の子だった。そして、あの時代の自分自身を、良く覚えている。あの頃も、女友達と常に一緒にいなくちゃいけない雰囲気で、交換日記が流行っていた。当然、突然の仲間はずれも、悪口も無視もあった。

私自身は、転校が多くて、本が好きで、ひねた子供だったから、あの年齢にしては、「私は私」という意識を持っていた方だったけれど、それでも、今になって思えば、小学生でいるうちは、自分と他人の区別があいまいだったし、少しずつ大人になろうとしているあの時代、自分自身の行動を制御できない瞬間があり、時に相当、衝動的だった。

苦い想い出がある。小学六年の時に、友達のおばあちゃんの家まで、同級生三人で「卒業旅行」と称して出かけた際、最後の最後にささいなこと(駅から歩いて帰るか、友達のお父さんの車で帰るか)で喧嘩(というより、私が単に、車を待つ精神的余裕がなかっただけ)になって、突発的に単独行動に出て、一人で歩いて家まで帰ってしまったものの、自宅の玄関にたどり着く前に、「せっかくの旅行だったのに、とんでもないことをしてしまった」という自責の念にかられて、わんわん泣きながら帰宅し、旅行中に何があったのかと、母を驚かせた(結局、母に促され、すぐに謝りに行きました)。

その記憶が鮮明な私にとって、小学六年生の女の子、と聞いた瞬間、「さもありなん。もしかしたら、何かきっかけがあったら、私も加害者になり得たかも」という気持ちが先に来た。もちろん、私も子供を持つ親だから、彼女のやったことが、どれだけ被害者の親を苦しめ続けることかよくわかるし、人の命を奪った行為が許されないこともわかる。けれども、あの時期、女の子同士のストレスは最高に達していて、しかもまだ大人になっていない子供の精神は、時に自分自身を制御できない。あの歳の女の子にとっては、ちょっとした喧嘩も無視も、重大な結果を引き起こす殺人も、実は同列にあるのではないかと、体験的に思う。そう、私は、彼女が、決して軽い気持ちで人を殺したとは思わない。その瞬間、本当に殺してしまいたいと、真剣に思い詰めたんだと感じている。

だから、なにかあったらすぐに、ゲームが悪いとか、テレビが悪いとかって、ちょっと本質からはずれていると思うんだけどなぁ。そりゃ、手口に影響がないはずはないだろうけどさ。もうちょっと共感を持って、考えられないものかと思う。単に誰かや何かを責めれば解決するような問題ではないはず。自分も加害者になったかもしれないという、共感の中から、見えてくるものもあると思うんだけど。

ちなみに、こういう事件をなくすために、私が考えつく手段は、たった一つ。「つよい子を育てるこころのワクチン」に書かれているようなプログラムを実施し、強いストレスにでも対抗しうるように、子供の心を強くする以外にないのでは?(↑この本、大人にも有効。ストレスを感じやすい人、ウツになりやすい人は、絶対読んで損しないと思います)
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by yyunn | 2004-06-04 14:27 | 徒然なるままに


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